令和3年度重要無形文化財保持者 選定保存技術保持者・保存団体認定書交付式
文化財を保存するための伝統的な技「選定保存技術」
文化財は先人が築き上げた大切な遺産であり、私たちはこれを保存して後世に伝えていく重大な責務があります。そして、この重要な責務を果たすためには、文化財の保存に加え、それに欠くことのできない伝統的な技術、または技能が不可欠です。
昭和50年(1975)の文化財保護法の大幅改正により、「文化財の保存技術」のうち、保存の措置を講ずる必要のあるものを「選定保存技術」として認定する制度が創設されています。これは、文化財を支え、その存続を左右する重要な技術を保護することを目的としており、技術の向上、技術者の確保のための伝承者育成とともに、技術の記録作成などを行おうとするものです。現在までに随時その保持者や保持団体を認定しています。
令和3年12月現在、選定保存技術全体は82件、うち保持者の選定件数は51件、保持者数は58名となっています。
市村藤一氏は、今も子息とともに第一線で仕事を行い、技術・技能の継承を図っており、真田紐の製作技術を正しく体得し、かつ、これに精通していることしてから令和3年に保持者として認定されました。
市村氏からのメッセージ
真田紐は、海外にはない日本独自の織物です。これは、世界に誇ることができるものと考えます。また、伝統的な技法を継承した本物の真田紐を作っているのは関東ではうちだけです。これまで、新規の柄の注文等、お客様のイメージを形にするため、ひとつひとつ丁寧にこなし、そこには困難な場面もありましたが、辞めずに努力し続けて参りました。
そしてこの度、国選定保存技術保持者に認定していただくことができました。世間に認められたという思いで、やっとたどり着いたような気がします。一生懸命真田紐を製作してきて良かったと思います。
母から伝えられた真田紐の製作技術を2代目として私が受け継ぎました。そして、息子が3代目を継いでくれることになり、一安心しています。今後もこの技術を途絶えさせず、後世へと残していきたいと思っています。
市村藤一氏の経歴
市村藤一氏(右はご子息、宏氏)
昭和3年(1928)に東京で真田紐製作を営む家に生まれた。本名は、市村藤一氏。母・きみ氏が、明治から大正期にかけて本所林町(現:墨田区)で真田紐製作をしていた今井万吉氏のもとで技術を習得。その後、大正10~11年(1921~1922)頃から夫・市村藤吉氏とともに真田紐製作を始めた。その間、藤吉氏が手動の織機を機械駆動へと改良するなどの工夫を重ね、現在の形となった。工房は、元々板橋区内の富士見町にあったが、戦時中に強制疎開の対象となり移転し、昭和21年(1946)になって現在地の大和町で仕事を再開した。
藤斎氏は、当初会社勤めをしていたが、母・きみ氏の遺言をきっかけとして、昭和22年(1947)から父・藤吉氏と姉に師事して技術を習得し、市村真田紐の2代目となった。現在、昔の技法を継承した真田紐を製作する関東で唯一の工房である。そして、子息・宏氏とともに製作を行い、技術・技能の継承も図る。また、真田紐の丈夫さを活かし、現代に合わせた新たな製品としてカメラストラップの製作にも取り組む。令和3年(2021)に国選定保存技術保持者認定。
真田紐は、古代の織物である縞(かんはた)を祖とするといわれています。この紐が「真田紐」と呼ばれているのは、天正年間に信州の真田昌幸が強くて丈夫な紐として刀の柄に巻く紐に使用したからという説や、幅の狭い織物である「狭織(さおり)」を略した言葉を語源とするなどの説がありますが、定説とはなっていません。
織物である真田紐は、組紐とは異なり、細い絹糸の経糸(たていと)と太い綿糸の緯糸(よこいと)(必ず綿糸を使用)によって、二重に織られています。
色の染色は染色業者に外注しますが、自らが染色する場合もあります。
国選定保存技術保持者である市村氏は、明治から大正年間に両親が導入した希少な木製自動織機を使って製織しています。適度な硬さの真田紐を製作するためには、糸の品質に応じて経糸の張力を適切に調整するなど、各工程において熟練の技術が必要で、同氏はその技術を有しています。
古くは、刀の下緒や行商が使う荷紐として、また、美術工芸品を保存するための桐箱などの蓋と身を安定させるための箱紐として伝統的に使われてきました。
現在は主に、真田紐が強靱性、非伸縮性、耐久性に優れ、さらに装飾性を有していることから、二重箱など大型の箱や茶道具の箱紐として使用されています。
なお、近年の装潢(そうこう)修理に際し、新調されている保存箱紐は、同氏が製作したものが多く用いられており、全国的な美術工芸品の保存修理には欠かせない材料を供給しています。